仏教の教えだろうか?
物事の本質を「月」に例えて、
「自分達が向かう先はココだよ。」
と言って人差し指で指し示す話がある。
人差し指そのものは、
「アプローチ法」だったり、
「プロセス」だったり、
「人々が述べる数々の方法論」だったりする・・・。
ふと上記の話を思い出し、
前から自分が述べている「エゴを使って意識のベクトルを意図的に決める」方法を使っても良いんじゃないかな?
と頭に浮かんだ。
「(本質としての)月」を意識しても良いし、
意識していなくても良い。
というアファメーションを試してみようと思う・・・。
そして今日自宅に営業に来た子の事も頭に浮かんだ。
「2000年生まれなんです。」
と言っていた子は、
スピリチュアル的には「既に経験、プロセスを必要としなくても「月」に目が向いている世代」と解釈出来なくもない・・・。
2000年よりも前に生まれた人間の魂に比べて、
遥かに「魂としての経験」を持っているので、
話をする(コミュニケーションを取って考え方を知る)事で、
「月」に目を向けやすくなるかもしれないな・・・。
と感じた。
但し、
2000年以前に生まれた人から2000年以降に生まれた人を見た時、
混沌の中から「月」を見出だす方法は知っているけど、
混沌の世界を整理して行く手段を知らないと2000年より以前に生まれた人は考えるかもしれません。
文章として書き残す為に、
理論や理屈をこねた口調をするのであれば・・・。
まぁ、他人の事は気にしなくても良いのかな?
「他人は自分の鏡」として、
まずは自分の行動を最優先すべきという理屈から言えば・・・。