自分の中で4月上旬は、
「ライオンズゲート」に似たエネルギーを感じ、
一時的に「ノンデュアリティ」の空気に包まれた。
その後は精神状態にも波が訪れて、
またまた思考にとらわれた生活に戻っている・・・。
でも、
少しずつだが、
以前よりかは、
思考に思っている程とらわれてはいない・・・。
そんな中、
タバコを吸った後に、
「木々の呼吸」というメッセージが頭に浮かんだ。
自分の体で「木」という漢字を表現するように、
両手を斜めに広げ、
まるで「幼稚園」の演芸として、
「木」の役を演じるかのように、
目線は真っ直ぐ前を見つめて呼吸する。
自分がまるで「木」として生きているかのように呼吸してみる・・・。
何となくだけど、
自分は「自然の中」で生きているという気持ちになってくる。
そのうち思考が浮かんで来たので、
「木」を演じるのをやめた。
もう一度思考が浮かんで来るまで「木」の役を演じてみる・・・。
自分は自然に溶け込んでいるという感覚を感じる・・・。
結局人間の幸せを語る上でたどり着く話というのは、
色んな座学を頭に入れた上で、
「有り難い」と思える感情を味わうとか、
自然と一体化したという感覚を味わうという所にたどり着く・・・。
「因果応報」から見てみても、
そんな感覚を自分から放出していたら、
「幸せの実感」として戻ってくるという理屈にもなる・・・。
「幸せを噛みしめる」という言葉も、
感情から出てくる話だし・・・。
時にはこんな、
「木」の役を演じて、
感覚を掴む事も大事なんじゃないかな?
知らんけど・・・。