「言うは知らず、知るは言わず」

 

最近そんな言葉を目にして気になっている事がある。

 

以前ある人が「神様」になる試験を受ける時に、

 

「今目の前にいる人にどんな事が起きても反応してはいけないよ。」

 

という課題を与えられた話である。

 

目の前に映し出されている人が、

 

今にもアクシデントに巻き込まれる様子を見せられるが、

 

結局目の前に映し出されているだけの映像なので、

 

声も手も出せないまま終わる。

 

というニュアンスの内容だった。

 

人々がトラブルに巻き込まる時というのは、

 

その後に何かを得る為のキッカケになる為に起きた出来事なので、

 

介入しない方が良いという話らしい。

 

多くの人を助けるという明確な目的を持って生まれて来た人はともかく、

 

日常の中でちょこちょこと、

 

自分が得た知識をアドバイスとして人に投げかけても、

 

どうやら必要とされていないリアクションしか人は取ってくれないと感じる・・・。

 

今の所は、

 

出来るだけ自分から情報は発信しないで良いのかもしれない・・・。

 

自分の情報が必要とされる場合は、

 

自然と周りの環境が変化するとも思っているので、

 

多少もがく位の情報発信はするかもしれないが、

 

今の所は自分から積極的に情報は発信しなくても良いと思っている。

 

創造主の目的は、

 

人々に自由な考えと行動を取って欲しいと考えていると思う。

 

勿論、何らかの拍子に自分の情報が本当は必要としている人もいるとも思っている。

 

多分「人に伝えるタイミング」というのもあるのかな?

 

そもそも、

 

その前に、

 

自分はまだ自分の中で「救われた」という実感が満たされていないと感じている。

 

自分が救われていないのに他人を救う事は出来ないとも思っているし、

 

現時点で出されている小テストの内容は、

 

「日常の中の幸せを実感しなさい。」

 

という回答をアウトプットしている段階だ。

 

というのが今の心境・・・。