「完璧な存在」は・・・、

 

自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかという事が分からないから、

 

色んな「不足」を持つキャラクターを演じて「足るを知る」経験を貪欲に求める。

 

成功だけではなく、

 

失敗する経験も、

 

どちらも貪欲に求める。

 

人々は「幸せ」を求める。

 

「自分は恵まれた環境で生活しているんだ。」

 

という実感を得れば、

 

引き寄せの法則」、「因果応報」に基づいて、

 

幸せを実感する環境で生活出来る。

 

「完璧な存在」も「人々(人々以外の存在も含め)」も、

 

結局は同じ動機で動いている。

 

どちらも「幸せの青い鳥」を求めている。

 

という意味から見ると、

 

「全ての存在は八百万(目的は同じという意味で・・・。)」だとも言える・・・。

最近情報過多な毎日に・・・、

 

少しうんざりしている。

 

一つの情報に対して360度からの意見の情報も目にしているなと感じて、

 

「面倒くさい」って感じる事もある。

 

スピリチュアルも含めて、

 

「幸せに生きる為のポイント」を説明する動画はあるけど、

 

「座学」として自分の中に情報を取り込んだら、

 

後は情報を放置していて良いのでは?

 

という心境になってきた。

 

前回の記事にも書いたけど、

 

引き寄せの法則」に基づいて目の前に現れる環境に対して、

 

「どうしたら因果応報に基づいた幸せの気分を維持する事が出来るかな?」

 

という小テストをコツコツと受ける事というのが、

 

「芯を喰った」部分なのかなと感じる。

 

自分は別に「崇高な」とか、「聖人になる」事に固執していない。

 

「イライラしない自分」を維持する事が出来れば、

 

「因果応報」として「イライラしなくても良い毎日」の環境が「引き寄せ」られてくる。

 

結局は「気分の問題」なんだ。

 

「波動を上げる」=「軽やかな気分」だし、

 

縄文時代の生活をしよう」=「整った環境よりも、まずは自分の心持ちが大事」だし、

 

「軽やかな気分」というのは、

 

色々思考した所で得られる物でもない。

(勿論下準備としての「知識」となる部分は必要だけど・・・。)

 

要は、

 

「自分の周りの環境に対してどのように捉えて毎日を過ごすか?」

 

だけ見ていれば良い。

 

シンプルさ、

 

人々の心を惹き付けないような「キラキラ」していない陳腐なセリフ、

 

目の前に現れる「人生の小テスト」

 

たったそれだけの話なんじゃないかな・・・。

ちょっとした旅に出た・・・。

 

何となく「この神社に行ってみたい」という気持ちになって旅に出てみました。

 

目的の神社への道中、

 

「おいで、おいで・・・。」

 

「安全に気を付けて来なさい。」

 

と呼ばれている気がするし、

 

実際に肩の力を抜いて車の運転も出来た。

 

と同時に、

 

「イライラしない自分」になる為の小テストを受けているかのように、

 

時々「イラっとする出来事」も引き寄せられていた。

 

目的の神社に到着して参拝するけれど、

 

参拝そのものには特に印象が残るような出来事はなかった。

 

今回は二つ印象に残るような出来事があった。

 

一つ目は上記に書いたけど、

 

「神社への参拝そのものよりも、神社に向かうまでの小テストを受けている事に重要性を今回は感じた事。」

 

(普段は神社に向かう時には感じないけど・・・。)

 

二つ目は、

 

「半年程前に夢に出てきた光景の場所に出会えた事。」

 

夢の中の光景は全く同じではない。

 

なんなら三割程の整合性がない光景ではあるが、

 

「あっ、ここは夢に出てきた場所だ。」

 

と感じる場所が二ヶ所あった事。

 

今回の旅はそんな出来事を体験が出来ました・・・。

「木」になったつもり・・・。

 

自分の中で4月上旬は、

 

「ライオンズゲート」に似たエネルギーを感じ、

 

一時的に「ノンデュアリティ」の空気に包まれた。

 

その後は精神状態にも波が訪れて、

 

またまた思考にとらわれた生活に戻っている・・・。

 

でも、

 

少しずつだが、

 

以前よりかは、

 

思考に思っている程とらわれてはいない・・・。

 

そんな中、

 

タバコを吸った後に、

 

「木々の呼吸」というメッセージが頭に浮かんだ。

 

自分の体で「木」という漢字を表現するように、

 

両手を斜めに広げ、

 

まるで「幼稚園」の演芸として、

 

「木」の役を演じるかのように、

 

目線は真っ直ぐ前を見つめて呼吸する。

 

自分がまるで「木」として生きているかのように呼吸してみる・・・。

 

何となくだけど、

 

自分は「自然の中」で生きているという気持ちになってくる。

 

そのうち思考が浮かんで来たので、

 

「木」を演じるのをやめた。

 

もう一度思考が浮かんで来るまで「木」の役を演じてみる・・・。

 

自分は自然に溶け込んでいるという感覚を感じる・・・。

 

結局人間の幸せを語る上でたどり着く話というのは、

 

色んな座学を頭に入れた上で、

 

「有り難い」と思える感情を味わうとか、

 

自然と一体化したという感覚を味わうという所にたどり着く・・・。

 

「因果応報」から見てみても、

 

そんな感覚を自分から放出していたら、

 

「幸せの実感」として戻ってくるという理屈にもなる・・・。

 

「幸せを噛みしめる」という言葉も、

 

感情から出てくる話だし・・・。

 

時にはこんな、

 

「木」の役を演じて、

 

感覚を掴む事も大事なんじゃないかな?

 

知らんけど・・・。

「言うは知らず、知るは言わず」

 

最近そんな言葉を目にして気になっている事がある。

 

以前ある人が「神様」になる試験を受ける時に、

 

「今目の前にいる人にどんな事が起きても反応してはいけないよ。」

 

という課題を与えられた話である。

 

目の前に映し出されている人が、

 

今にもアクシデントに巻き込まれる様子を見せられるが、

 

結局目の前に映し出されているだけの映像なので、

 

声も手も出せないまま終わる。

 

というニュアンスの内容だった。

 

人々がトラブルに巻き込まる時というのは、

 

その後に何かを得る為のキッカケになる為に起きた出来事なので、

 

介入しない方が良いという話らしい。

 

多くの人を助けるという明確な目的を持って生まれて来た人はともかく、

 

日常の中でちょこちょこと、

 

自分が得た知識をアドバイスとして人に投げかけても、

 

どうやら必要とされていないリアクションしか人は取ってくれないと感じる・・・。

 

今の所は、

 

出来るだけ自分から情報は発信しないで良いのかもしれない・・・。

 

自分の情報が必要とされる場合は、

 

自然と周りの環境が変化するとも思っているので、

 

多少もがく位の情報発信はするかもしれないが、

 

今の所は自分から積極的に情報は発信しなくても良いと思っている。

 

創造主の目的は、

 

人々に自由な考えと行動を取って欲しいと考えていると思う。

 

勿論、何らかの拍子に自分の情報が本当は必要としている人もいるとも思っている。

 

多分「人に伝えるタイミング」というのもあるのかな?

 

そもそも、

 

その前に、

 

自分はまだ自分の中で「救われた」という実感が満たされていないと感じている。

 

自分が救われていないのに他人を救う事は出来ないとも思っているし、

 

現時点で出されている小テストの内容は、

 

「日常の中の幸せを実感しなさい。」

 

という回答をアウトプットしている段階だ。

 

というのが今の心境・・・。

 

 

 

 

「因果応報」について考えてみる。

 

現代の人間が作る「仮想空間」の中で、

 

「因果応報」が働く部分というのは、

 

「対人関係」にまつわる物しか存在しない事になる。

 

意図的に設定をしない限り、

 

病気や地震、火災、交通事故に会う事はないなぁ・・・。

 

って、ふと考えた。

 

バーチャルな世界であっても、

 

ほぼほぼ人と関わる事になるだろうし、

 

自分だけしかいないバーチャル空間で、

 

50~60年生活するのも、

 

ただただ命が尽きるまで時間を潰すだけの作業になるんだろうなぁ・・・。

 

時間の感覚でさえ、

 

現実世界の1時間を1年に設定する事も出来るので、

 

あまり意味がない物にもなってくる。

 

物事には見方によってメリット、デメリットが存在する。

 

現実世界と呼ばれる世界には、

 

「対人関係」だけではなく、

 

色んな物に自身の行動や選択の結果が現れるようなバラエティーに富んだ設定がされているから、

 

「面白い」と感じるのかもしれない・・・。

 

創造主から見てみたら・・・。

「頭が下がる思い・・・。」

 

最近は「知識」を取り込もうという意欲がだんだんとなくなっている。

 

「知識」よりも「頭が下がる思い」という部分に意識するようになっている。

 

「気が付いたら自然と頭が下がっていた。」

 

という生活を心掛けてみようというのが、

 

最近のマイブームになっている・・・。