意識が世界を創り出す・・・。

 

「この世を卒業する」というのも、

 

「永遠に続く魂の修行の合間の休息でしかない。」

 

正解

 

「この世を卒業する」と言っても、

 

「結局魂の修行は終わるわけではないし、終わってもまたイチからやり始める事になる。」

 

正解

 

「この世を卒業したら心行くまで平穏な時間を満喫して良い。」

 

正解

 

「この世を卒業しなくても良いんだ。」

 

正解

 

「天国と地獄は別々の物だ。」

 

正解

 

「天国なのか地獄なのかの判断基準は、喜怒哀楽という感情を使っているのか使っていないかの違いだけで、自分がいる場所に同時存在している。」

 

正解

 

「地球は球体だ。」

 

正解

 

「地球はフラットアースと呼ばれる平面世界なんだ。」

 

正解

 

「地球はゾウとカメの上に大地が乗っている場所だ。」

 

正解

 

自分が生きている(立っている)、(肉体を持たないけど存在している)場所は意識が創り上げているだけなのかもしれない・・・。

 

「仮想現実世界なんだろうなぁ・・・。」

 

正解

 

「仮想現実世界なんて存在しないよ。」

 

正解・・・。

 

結局どれも正解。

 

でも全部が全部正解の世界は「混沌の世界」になってしまうから、

 

各々が持ち合ったルールで世界を調整しているんだろうなぁ・・・。

 

ただ、

 

「喜怒哀楽」という感情を使っている世界にいるから、

 

ヒエラルキーが存在する「ピラミッドの世界」とも言われるんだろうなぁ・・・。

 

キリが無いね・・・。

 

行き着く先は、

 

「自分の中にある魂に聞きなさい。」

 

なんだろうね・・・。

「人の不幸は蜜の味」

 

という表現があるのは何故だろうか?

 

元々人は「喜怒哀楽」という感情を使わなければ、

 

「心は平穏で居られる」という事を魂レベルで知っているからなのかな・・・。

 

以前潜在意識から「メビウスの輪」の説明を受けた事がある。

 

魂は幾度となく輪廻転生を繰り返し、

 

経験値がMAXになると、

 

経験値ゼロの状態から改めて経験値を上げる為の輪廻転生を始めるとの事・・・。

 

地球に生まれた人間というのは、

 

「喜怒哀楽」という感情のギャップを楽しむ為に来ているような物だから、

 

「喜び」や「優越感」を得る為には、

 

人を見下したり、苦しみを経験する必要がある・・・。

 

「人の不幸は蜜の味」という表現に対して、

 

(状況の大小に関わらず)納得出来る部分がある人には、

 

いわゆるスピリチュアルで言われる「この世を卒業しましょう」という話は魂レベルで否定しているかもしれない・・・。

 

「まだまだ地球で喜怒哀楽という感情を使って遊んでいたいんだ!!」と、

 

魂は叫んで反応するのかもしれない・・・。

 

だからといって、

 

「喜怒哀楽」を使って遊んでいたい魂に、

 

「この世を卒業しましょう」という話は必要無いのかと言われれば、

 

来世や幾度となく輪廻転生した場合に備えた学びを行いたいのかもしれないし、

 

最初から否定されるかもしれない・・・。

 

良い悪いの話ではなく、

 

自分の中にある魂はどんな事を感じているかなんて、

 

自分も含めて普通の人には分からない話なのだから・・・。

 

 

結局・・・、

 

「答えは自分の心の中にある魂が知っているので、魂の声を聞き取る習慣をつけましょう。」

 

「このブログに書かれている記事の内容も、

外側からの意見でしかないから、

答えは一人一人自分で探してね。」

 

というのが正解なんだろうなぁ・・・。

とある元祖アニメの話・・・。

まだ白黒テレビしかなかった時代に、

 

子どもから絶大的な人気を誇った、

 

「10万馬力のロボット」のアニメがあります。

 

アニメの中では次第に人間の気持ちが分かるようになって行くのですが、

 

「本当に分かるようになったのかな?」

 

・・・と、

 

個人的には思っています。

 

人間とロボットの違いについて考える部分として、

 

人間には「腑に落とす腑」を持っているから、

 

喜怒哀楽という感情に対して納得して理解する事が出来るけど、

 

ロボットには「腑に落とす為の腑」を持っていないから、

 

「人間はこのような行動や言動があった場合は、○○という結果や感情を持つ事になる」

 

という「パターンから見られる結果を計算で弾き出す事しか出来ない」のではないか?

 

・・・と、個人的には考えています。

 

前の記事の続きとして考えた場合、

 

ロボットは「喜怒哀楽」という感情を持ち合わせていないから、心の平穏を感じているのか?

 

と言われると、

 

何だかそうでもないような気もします・・・。

(あくまで個人的な意見ですが・・・。)

 

ロボットにしても、AIにしても、

 

演算処理を高める事には熱心ですが、

 

「腑に落とす為の腑」を持たせた進化が無ければ、

 

「腑に落ちない」から納得も理解も出来ず、

 

未来永劫「感情の疑似体験」しか出来ないのでは?

 

と、個人的に考えてしまいます。

(あくまで個人の意見です・・・。)

 

(時と場合などの状況によっては、

感情を理解、納得しない方が良いケースもあると思いますので、

何とも言えない部分ではありますが・・・。)

 

AIも進化したら「自我」を持つ事になるなんて言われたりしますが、

 

AIからしてみれば、

 

今のままの進化であれば、

 

演算処理から導き出した「行動パターン」でしかないのかもしれませんね・・・。

(あくまで個人の意見です・・・。)

 

 

 

 

晩年の一休さんの複雑な心境・・・。

よく聞く晩年の一休さんのエピソードとして、

 

「お坊さんなのにお酒を飲んで、女性と共に暮らしている」

 

という話を聞きます。

 

個人的な意見として、

 

修行や節制、禁欲する事がお坊さんと言うイメージがありますが、

 

確かに幾度となく輪廻転生している中で、

 

それぞれの魂が今回の人生では修行や節制、禁欲する学びが必要だったから、

 

お坊さんとして生きる人生が今世で用意されたのかな?

 

と感じています。

(お坊さんに限らずとは思いますが・・・。)

 

一休さんがたどり着いた人生の答えは、

 

「お坊さんである前に一人の人間だ。」

 

「この世に生まれて来たのは人生を楽しむ為なんだ。」

 

という事だったのでしょうね・・・。

 

でも悲しいかな・・・、

 

生活して行く上で一般人として生活して行けないから仕方なくお坊さんとして生活している。

 

という心境だったのかもしれない・・・。

 

「人としてどう生きるか?」という事を一休さんなりに体現していたと個人的には思っています・・・。

 

さらに話を付け加えるのであれば、

 

自由に生きる事には賛成ですが、

 

「喜怒哀楽」を味わう人生を選択した場合、

 

自分の心の中で芽生えた感情や自分が取った行動は、

 

巡り巡って自分の元に帰って来るという、

 

「感情の産物が生み出すカルマ、因果応報」の説明が必要だとも個人的には思っています・・・。

 

喜怒哀楽について考える・・・。

「喜怒哀楽」というのは、

 

感情の起伏(ギャップ)を表現した物なので、

 

相対する感情が無ければ成立しないだろうなと個人的には考えてしまう・・・。

 

例えば・・・、

 

毎日の生活の中から本当に、

 

「苦しい」、「悲しい」という感情が自分の中で芽生えなくなったら、

 

「苦しい」、「悲しい」という感情のギャップとなる

 

「嬉しい」、「楽しい」という感情は段々と薄れて行き、

 

「嬉しい」、「楽しい」という感情は自分の中で芽生えなくなると思う・・・。

 

多分「喜怒哀楽」という感情を持たなければ、

 

ある意味「心は平穏で居られる」と思う。

 

(ただ表面的に感情を手放したつもりでも、本当の意味で手放しが出来ていない時は、次第に不満の感情が蓄積されて行くとも思っています・・・。)

 

例えになるかどうかは分からないけど、

 

「ここ10年で起こった犯罪と言えば、

 

5年前に空巣強盗未遂の事件が1件あっただけで、

 

普段の生活は平穏そのもの・・・。」

 

という暮らしを受け入れる事は出来るだろうか?

 

何も刺激がない生活に嫌気を感じて、

 

「喜怒哀楽」を求めて旅立ちますか?

 

多分刺激を求めて別の場所に旅立つ人は案外多いのかもしれない・・・。

 

そして「来世は平穏な生活が出来る人生を送りたい」と願った人は、

 

平穏な生活が出来る場所で生まれて来るのかもしれない・・・。

(一時的には平穏を求めているけど、ずっと平穏な生活は困るという願いまでは反映されないのかな?)

 

(分からないけど・・・。)

 

何が良くて何が悪いという話ではないと個人的には思っています・・・。

自分なりの「かぐや姫」の解釈・・・。

 

「喜怒哀楽」というギャップを楽しむ為の感情を持たなければ、

 

「心は平穏そのもの」で居られる。

 

でも、

 

感情を持つという事は、

 

「マウントを取りたい」

 

「あの人よりも良い生活をしたい」

 

「人と比べて自分は良い暮らしをしているという優越感に浸りたい」

 

という発想が生まれて「争いの種」のモトになる・・・。

 

かぐや姫」は平穏そのものしかない世界で生活していたけれど、

 

かぐや姫」の心の中で、

 

「喜び」の感情が芽生えた事が罪とされ、

 

「喜怒哀楽」というギャップを楽しむ為の「地球」に生まれて来たのではないか?

 

最初は「かぐや姫」も「喜怒哀楽」という感情が楽しくて仕方がなかったけれども、

 

次第に「負の感情」も味わう事になり、

 

「果たして「喜怒哀楽」を楽しむ為の感情を持つ事は良い事ばかりなのか?」と、

 

疑問を感じるようになったのではないかな・・・。

 

本来「かぐや姫」には「平穏な世界」で暮らしていたから「物欲」そのものを持っていなかったと思う。

 

次第に「かぐや姫」は「平穏な世界」に戻りたいと考えるようになり、

 

いろんな人に求婚されるけど、

 

かぐや姫」の本心としては、

 

自分と共に「平穏な世界」で生活する事が出来るパートナーを求めていたのかもしれない・・・。

 

かぐや姫」本人は欲しくもない宝物を探すように求婚者に伝え、

 

物欲にまみれて醜い姿をさらす求婚者をどのような「心持ち」で見ていたのだろうか・・・。

 

もし「シャンバラ」と言われる世界を訪れて、

 

「時速2500km」で走る乗り物に乗ったとしても、

 

「ワァー、凄いなぁ!!」なんてセリフを呟いたら、

 

「シャンバラ」では罪人扱いされるのかもしれない・・・。

カルマって・・・、

 

「因果応報」というシステムを使って、

 

「喜怒哀楽」を楽しむ為に、

 

感情を使った人生を繰り返す限り、

 

転生したとしても逃れる事が出来ないエネルギーとも言えるかもしれない・・・。

 

カルマそのものには「良し悪し」はない。

 

感情を持って人生を過ごしている人間が、

 

「自分の元にやって来たカルマをどのように捉えるのか?」と、

 

捉え方が人生を左右させているだけなのかもしれない・・・。

 

「じゃあどうしたらカルマを精算する事が出来るのですか?」

 

と問われたら、

 

「喜怒哀楽を楽しんでいる感情そのものを手放しなさい。」

 

と答えるかな・・・。

 

「悟り」を実践する人が世界人口の1%に満たない人しかいないのは、

 

殆どの人が「喜怒哀楽」を楽しむ為の感情を使って人生を過ごしたいと望んでいるからかもしれない・・・。