一度の人生で出来る事なんて、

 

たかが知れている。

 

そこそこ自分に納得出来る「人生を生きる知識」を身に付けたら、

 

後は「ありがとう」と思える感情をオーラとして放出していれば良いと思う。

 

問題が起きたら修正すれば良い。

 

自分に足りない部分は周りが助けてくれるし、

 

改めて「有り難さ」を感じて「ありがとう」と声にすれば良い。

 

目の前の不安に捉えず、

 

自分の一生を物差しにして「喜怒哀楽」の設計を自分で組み立てれば良い。

 

そこそこ自分に納得出来る「苦しみ」を経験したら、

 

後は「感謝」だけしていれば良い。

 

世の中に起きる色々な出来事は、

 

一定の時間を過ぎれば「飽きて」違う世界観を見せるように、

 

自分で作っているという事を腑に落としているのならば、

 

後は実感を持って「ありがとう」と口にすれば良いし、「有り難い」と思っていれば良い。

 

人生なんて、

 

ただそれだけの話なんだと思う・・・。

「ほっといたら自然と良くなるよ。」

 

引き寄せの法則」から言えば、

 

「ほっといたら自然と良くなる」ように、

 

「この世の仕組み」が作られているとも言える・・・。

 

ただ、

 

「無意識的に」気にしていたり、

 

(そんなの分かる訳ではないが・・・。)

 

四六時中気にしていたら悪化するという理屈にもなる。

 

だからといって、

 

ただ単純に、「人生不安だらけなら、ほっといたら良いのですか?」

 

という質問に対する完全な回答にはならないと思う。

 

人は意識的無意識的に何かしら思考している物がある内は良い方向に進展するとは限らないし、

 

一人一人が抱える「思考」を自分自身でも完全に捉えていないし、

 

他人も勿論完全には捉えていない。

 

(解決のヒントとなるアドバイスを他人はくれる事もある・・・。)

 

他人がくれる解決のヒントとなるアドバイスも、

 

自分がほっといたら自然と引き寄せるのかもしれないし・・・。

 

そんな事を考えていたら、

 

引き寄せの法則」に基づいた発想が、

 

そもそも安定した答えを出せないのでは?

 

って考えてしまう。

 

引き寄せの法則」につまずく人は、

 

(自分も含めて・・・、)

 

具体的な事案をあれこれ模索したり、思考するよりかは、

 

「この世は自分が生きていく為に有り難い仕組みが存在しているんだ。」

 

という実感を得た時に、

 

稲穂が垂れるかのようなお辞儀や、

 

「実感こもったありがとう」と口にする生活をするだけで、

 

勝手に「人生の中で出てくる問題」を「この世」が解決してくれるのかもしれない・・・。

 

「有り難い」と実感した時の感動なり、有り難い気持ちを「周波数」として捉えて、

 

維持する事が大切になってくるのかもしれない・・・。

 

人それぞれ「充実した人生」の入り口はバラバラだと思う。

 

思考に思考を重ねて入り口を見つける人もいれば、

 

感覚から入り口を見つける人もいると思う。

 

どんな入り口から入っても、

 

軌道に乗ってしまえば、

 

勝手に循環してくれるような物なのかもしれない・・・。

 

イメージとしては、

 

色んな駅を循環する「山手線」のような物なのかな?

「有り難いなぁ・・・。」

 

よく「ありがとう」という言葉は、

 

言霊としては最高の言葉です。

 

なんて事を言われるけど、

 

最近「ありがとう」ではないけど「有り難い」という言葉を口にする機会が多い。

 

この頃、

 

親戚同士でやり取りをする必要に迫られ、

 

何かと叔父叔母に相談をしてアドバイスを貰っている。

 

「自分一人で生きている訳ではないんだなぁ・・・。」

 

「引きこもっている自分を見て心配してくれる人がいるんだ。」

 

という実感を感じると自然と「有り難い」という言葉が口に出る。

 

昔の信心深いおばあちゃんのイメージとして、

 

何かにつけては「ありがとう」とか「有り難い」という言葉を口にしているけど、

 

実生活の中で「ありがとう」や「有り難い」という言葉を口にすると「有り難さ」を実感出来るという感覚を身に付けていたのかもしれない・・・。

やじろべえ・・・。

 

以前にも記事にしたかどうかを覚えてはいないのですが、

 

潜在意識から「やじろべえ」というキーワードを貰っていた。

 

ここ最近になって、

 

「物質的豊かさ」と「精神的豊かさ」をそれぞれの手に持った「やじろべえ」のイメージが浮かんで来た。

 

「物質的豊かさ」に力が加わっていたら、

 

「精神的豊かさ」に力が傾く「揺り戻し」としての力が、

 

今の時代に現れているのかな?

 

と感じた・・・。

 

恐らく、

 

「精神的豊かさ」にばかり力を加えていると、

 

「物質的豊かさ」の方向に力が向く現象も出てくるかもしれない・・・。

 

結論から言えば、

 

「物質的豊かさ」も「精神的豊かさ」もどちらも必要なのだと思う。

 

例えば、

 

「物質的豊かさ」と「精神的豊かさ」を天秤に掛けると均衡が取れる状態が良いのかもしれない・・・。

次元・・・。

 

自分が漫画なり小説なりを書いて創り出したキャラクターと、

 

「もしスピリチュアル対談をしたら?」

 

と考えると中々面白い事になると気付いた・・・。

 

「あなたは神様ですか?」

 

(あなたというキャラクターを創り出した者だから、神様と言えば神様かなぁ・・・。)

 

「あなたは善の心を持つ存在ですか?それとも悪の心を持つ存在ですか?」

 

(あまり自分の人間性を問われた所で、あまり意味が無いけどね・・・。)

 

「何で私はこんな人生を歩む事になるのでしょうか?」

 

(そんなストーリー展開だからね・・・。)

 

エトセトラ、エトセトラ・・・。

 

上記の最後の質問については、

 

(他人の事はよく分からないけど、)

 

自分の中では、

 

(三次元と呼ばれる現実世界の中には)アカシックレコードが存在して、

 

キャラクターの物事の捉え方によって話の展開が変わってくるという設定(プログラミング)がされている。

 

って考えている。

 

そして現実世界に話を戻すと、

 

(スピリチュアルで言われる)「本来の私」は、

 

そんな自分が創り出したキャラクターが様々な思いで人生を過ごすさまを、

 

ドラマとして没頭して見ている・・・。

 

さしずめ、

 

現実世界と呼ばれる中で生まれるドラマのジャンルは、

 

人間世界で言われる「リアリティーがある人間ドラマ」

 

と言った所だろう・・・。

 

書き手(本来の私)から見たら、

 

自分が創り出したキャラクターに魔法を使わせる事も出来るし、

 

空を飛ばせる事も出来る。

 

但し、

 

基本的にそんな事をさせないのは、

 

「作品の方向性に必要ないものをさせていないだけ。」

 

なのかもしれない・・・。

 

(更に言えば「ギャグタッチ」の作品でもない・・・。)

 

「何でこんな世界なのか?」

 

と現実世界に生きる人々が本来の私(創造主)に尋ねたとしたら、

 

「そんな感性の作品ですからね。」

 

としか言われないのかもしれない・・・。

 

感性の問題かぁ・・・。

次元上昇・・・。

よくスピリチュアルで言われている「次元上昇」について、

 

三次元と二次元の違いから読み解いてみると、

 

「運命」だ何だと、

 

人生を経験する側から、

 

「人生」というストーリーを創り出す側になるという、

 

「人生」に対する捉え方が変わるだけでも次元上昇したと言えるかもしれない・・・。

 

「全ての次元はココにある」なんて言葉もスピリチュアルでよく言われるけど、

 

上記の内容から言えば、

 

「物事の捉え方」だけの問題なのかもしれない・・・。

 

どこかに旅立つ訳ではなく、

 

「人生の活用法」が変わるだけの話。

 

こんな考え方をするから、

 

自分でも自分の事を、

 

「夢みるリアリスト」だなと改めて感じる・・・。

エコノミー症候群・・・。

 

最近「人間工学に基づいた」ゲーミングチェアなるものを購入した。

 

座り心地は良いし、数時間座っていても腰が痛くならないから、

 

ついついそのままの格好で寝てしまう・・・。

 

何日かそんな日々を過ごしていたら、

 

足はむくみ、ふくらはぎがパンパンに張るようになった・・・。

 

「あれっ?」

 

「これってもしかして・・・、」

 

「エコノミー症候群?」

 

スピリチュアルでよく言われる言葉として、

 

「思考は現実化する」

 

とか、

 

「本来の私は願う事は叶う」

 

なんて言われるけど、

 

「エコノミー症候群なんて思考すら浮かんでないし、願ってもいない事だよ。」

 

なんて考えてしまう・・・。

 

他人の事は分からないけど、

 

自分の中では、制限やルールがある「この世の仕組み」というのは存在する・・・。