三次元と呼ばれる現実世界で、

 

自分(人々)は生きていると一般的には言われている・・・。

 

例えば、

 

「何か漫画なり小説なりを書いて下さい。」

 

「ゲームでも良いですよ。」

 

「内容はどんな物でも良いですよ。」

 

と言われたとする。

 

漫画なり小説なりゲームの世界の中で、

 

「ケーキが食べたい。」と、

 

口にするなり思念を浮かべるだけで、

 

自分の目の前に「パッ」とケーキが現れて食べる事が出来るシーンを描く事が出来る。

 

「空が飛びたい」

 

「ヒーローになりたい」

 

「不老不死になりたい」

 

という願望も自由自在に描く事が出来る。

 

話の初めから終わりまで、

 

願望は瞬間で叶うストーリーを描くのは簡単だけど、

 

そんな漫画や小説やゲームって面白いと思える?

 

そんな漫画や小説やゲームに時間を掛けるよりも、

 

「喜怒哀楽」を味わう物や、

 

今まで読んだ事が無い漫画や小説を読みたい、今までプレイした事が無いゲームで遊びたいって考えてしまう・・・。

 

現実世界と呼ばれる世界で生きている自分(人々)は、

 

「あれっ?」

 

瞬間ばかりか、

 

いつまで経っても

 

「空を飛べない」

 

「ヒーローになれない」

 

「不老不死になれない」

 

という経験をしている・・・。

 

本当は願望なんて瞬間で叶って当たり前なんだ。

 

でも瞬間で願望が叶わないような設定を作っている世界で、

 

「一番つまらない作品を作らない」ようにしているだけなのかもしれない・・・。

 

本当は自分だと思っているキャラクターは、

 

本来の私(自分)が作り出したキャラクターに過ぎず、

 

本来の私が作り出した作品に没頭して様々な人々の様々な生き様を擬似体験しているだけかもしれない・・・。

 

そして現実世界の中でも、

 

クリエイターが創り出した漫画や小説、ゲームやドラマを見て楽しんでいる・・・。

 

 

面白いね。

 

仮想現実の中でバーチャル世界を作ったり、

 

漫画や小説、ゲームやドラマは作り出されている・・・。

 

まるで鏡と鏡をお互いに対面させた「合わせ鏡」みたいな事をしている・・・。

 

って、

 

スピリチュアルで言われる「創造主」は思っているんだろうなぁ・・・。

 

そして現実世界に生きる自分だと思っているキャラクターはこんな事も考えてしまう。

 

「創造主は自分で作り出したキャラクターの色んな経験を擬似体験する事に貪欲だな。」

 

でも、

 

そんな創造主の執着も創造主が手放した時、

 

「パッ」と世界そのものが無くなるか、

 

無いも同然の存在になるんだろうなぁ・・・。