「コミュニティ、コミュニティ」ってよく耳にするけど、
「人が理想とするコミュニティって一体どんな物だろう?」
という事を考えてみる・・・。
「人は一人では生きていけない」から、
人は人と繋がりを持つ必要があるのは確かな事だとは思う。
でも、「価値観が合う物同士」だけの理由しか持たないコミュニティは、
日本でよく言われる「ムラ意識」を育み、
他の「違う価値観を持つコミュニティ」と衝突する事になるのかもしれません・・・。
(家族という単位の話でも同じ事が言えるかもしれません。)
(他人には分からない「家族意識」を育む事になるから・・・。)
家族であっても、コミュニティであっても、
お互いにエゴの衝突が起きた時に、
「まぁまぁ、そう言わないで・・・、」
とお互いがお互いに自分を見つめ直す方向に意識が向いていなければ、
「村八分」もしくは「勘当」といった結果を迎える事にもなる。
自分達とは違う価値観を持つ家族なり、コミュニティと交流する場合にも必要な心掛けとしては、
「ケンカ両成敗」、「お互いに水に流す」、「お互い様」という意識が必要になるのかもしれません・・・。
(頭では分かっているけれども・・・。)
じゃあ、実際にお互いに違う価値観を持つコミュニティとどうやって交流すれば良いのかな?
と考えた時、
(イメージだけど)東南アジアなどの部族の生活はどうしているのかな?
という事が頭に浮かんだ。
昔見たテレビなどから見たイメージとして、
「部族の中でケンカをする事もたまにはあるが、みんな仲良くやっている。」
「他部族との交流はあるけれども、争い事は一度も行った事がない。」
と話す長老のシーンを見た事があるような気がする・・・。
今の日本でよく言われる「縄文時代の生活」のノウハウが上記の部族の生活の中にあるのかもしれませんね・・・。
実際どうだろうか?
今の日本で上記のような「縄文時代のような生活」を再現する事は出来るのだろうか?
例えば、
今の日本では地理的な要因を元にして「都市」と言われる場所に人は集中する。
「縄文時代」の大所帯と言われる集落も同じようにあったと思うけど、
(規模は分からないけど・・・、)
コミュニティそのものが大きいから色んな価値観を持つ人々と同じ場所で暮らして、
どのようにトラブルに対応していたのだろうか?
気にはなるなぁ・・・。