世界的に有名な宗教の話で、
智恵の実を食べた事で、
羞恥心を持つ事になり、
楽園を追放されると言う話があるけど、
逆に言えば、
楽園というのは、
羞恥心を持たず、どんな事をしていても咎められる事がない世界とも言えるかもしれません・・・。
スピリチュアル界でよく「女性の時代」と言われていますが、
根本的な思想は、
「何でも受容する世界」という解釈も出来るような時代とも言えるかもしれません・・・。
「多様性を受け入れる」というのは、
極論すれば、
自分が何をしたとしても咎められる事がない世界とも言えるかもしれません・・・。
う~ん、なるほど・・・、
これからの世界人口比率が高い世代とも言われているZ世代、α世代と呼ばれる人達が、
この時代を選んで(自分の魂の成長に適した時代として)生まれてくる理屈にも繋がっているとも感じます。
多様性が認められる時代を進めて行くと、
(5000年とか、10000年とか・・・。)
「国」という概念が失くなり、
「法」という概念も失くなる「混沌」の世界へ進むのかもしれません・・・。
(ある意味「楽園」とも言える。)
スピリチュアル界では、
「男性の時代はヒエラルキーがあり、規則があり・・・。」という表現をされる事が多いけど、
「男性の時代」でも、「女性の時代」でもそれぞれメリット、デメリットが存在するだけの話なのかもしれません・・・。
自分もブログの中では「人生は魂を成長させる為にある」と主張していますが、
「マラソンでも全力疾走のまま走っているわけではないでしょう?」
「今はマラソンを完走する為に体力温存する走りをしているような状態なのだから、魂の成長に対して上昇志向はないけど、ペースが落ちない程度に現状維持しているのが私たちの世代の特徴です。」
とこれからの世代の人に言われたら、
「あぁ~、そうなのか・・・。」と一概に否定も出来ない。
逆に言えば、
これから生まれてくる世代の魂は、
前世でとんでもなく魂の成長に対して頑張ってきた魂なのかもしれませんね・・・。
魂からすれば、
現世(Z世代やα世代)は魂休息の為の人生なのかもしれません。
ただしそんな魂の事情とは関係なく、「因果応報」という法則は働く。
どんな時代に生まれ、どんな生き方をしたとしても、
自己責任に基づいた選択と行動が自分の未来(結果)を作る事には変わらないのかもしれませんね・・・。