一休さんと言われたら、
幼少期のとんちが効いた話の数々を思い出す事が多いけど、
スピリチュアルを勉強していたら、
後々の逸話として、
尊いとされた和尚様から頂いた免許皆伝のような紙を「鍋敷き」に使ってしまう理由や、
晩年の話として、
お酒を飲んで女性と一緒に暮らしていた理由も理解出来るようになる。
問題は、
一休さんが晩年の生活として、
やや行き過ぎな生活をしていたエピソードを人々が聞いても「ピン」と来ない所にあるのではないか?
と感じる・・・。
ある程度生きていれば生きる為の「礼節」は身に付けて行く事になる。
その後は「ありのまま」が必要だと言う一休さんのアピールが人々には届かなかった・・・。
一休さんは今の時代を生きた時、
どのような方法を使って自身のアピールをするのだろうか?