お盆振り返り・・・。

 

スピリチュアルを勉強していると、

 

お盆に対して疑問が湧いてくる。

 

「亡くなった人は既に成仏して次の人生を過ごしているから、故人の存在は残っていないはずなのに、何でお墓参りをする必要があるのかな?」

 

と思ってしまう・・・。

 

そんな中、

 

今日見た夢は(全く現実では無縁である内容だけど)、

 

借金が膨れ上がり、

 

一定額の請求をされるという夢を見て、

 

怖くなって目が覚めた。

 

今の自分には死なない限り、

 

生きて行く必要があるのだが、

 

早く自立出来る経済力を持ちなさいという気持ちに駆り立てられた。

 

(なんせ引きこもっているからね・・・。)

 

「う~ん、そうは言ってもなぁ~。」なんて考えながらタバコを吸ってみた。

 

今の自分が生きている理由として、

 

ノンデュアリティ体験や一瞥体験から得た物を、

 

世間に人知れず、土着的に伝えて行く事を求められているのかな?

 

とは感じる・・・。

 

最近自分がスピリチュアルを勉強して行く上で、

 

指標としている人物のブログの表現が変わって来ている。

 

今日の今日まで、

 

「何でそんな専門的な表現をしているのだろうか?」

 

という疑問も抱いていた。

 

今日の今日になって初めて「お墓参り」と「指標とする人物の表現変化」という二つの点が一つに繋がった。

 

まずは「お墓参り」について、

 

今の自分の魂レベルに合った環境に合わせて、

 

現世では今の家族の元に生まれて来た。

 

勿論現世の家族というのも(先祖も含め)、

 

自分の魂の成長のきっかけをくれる為の配役を演じてくれている。

 

「お墓参り」というのは、

 

自分の心の中で生き続ける故人と、

 

自分の心の中で対話して、

 

「少なくとも故人レベルの心意気や生活姿勢以下の生活をしないようにしてね。」

 

という発奮を自分に促す為にあるものなのかな?

 

と思えるようになった。

 

同時に、

 

自分の中で生き方の指標となる人物が、

 

自分の家族ではなくても、

 

「少なくとも私の名前を口にする、もしくは指標としてくれるのであれば、最低限これだけの事は出来る人間でいて欲しい。」

 

と言われているような気もする・・・。

 

 

「あ~、そう考えたら納得出来るな。」

 

と一人考えながら、

 

洗濯物を干す作業に没頭した・・・。